在宅での身体拘束ゼロをめざして 困難事例から考える

AAA研究会メンバーの大坂慎介さんより投稿頂きました

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 先日、在宅における身体拘束に関する研修に参加しました。その所感です。

 高齢者の方々は、認知症状などの理由で抑制や拘束を受けていることがあります。身体の自由を拘束される高齢者の気持ちと、何らかの理由でそうしている家族や支援者の思いが、交互に行き交うような複雑な構図となっている事例が介護現場には存在しています。「身体拘束ゼロの手引き」では、身体拘束が及ぼす様々な悪影響や弊害が高齢者の尊厳を脅かすことを示しています。介護サービス事業者の身体拘束の禁止規定は、やむ得ず行う場合には条件が設定されるとともに厳重に徹底した記録を整備が求められます。高齢者ケアに関わるすべての人を対象に取り組まれていますが、在宅介護の現場では、拘束の実態把握や従事者に周知されているのかどうかの検証などは必ずしもされていないようです。実際に近年在宅での拘束の事例が報道されたこともあり、そのような事例が多く潜在化しているのではないだろうかと考えます。

 実際には、医療機関等に入院中行われていたつなぎ服やミトンなどの治療と安全の確保のために行われていたものが、そのまま在宅でも継続される例や、家庭での家族の認知症に対する認識の不足による拘束が報告されていました。安全確保や問題を最小限に抑えるための方策として、施錠や室内環境を閉鎖するなどして行動制限をしていることが考えられます。潜在していて見えにくい、課題として共有されにくい、家庭の中という限定された空間で行われているからが故のことかもしれません。そこへ支援者が立ち入るのは容易でないことも事実です。

 これらの事例に現場の最前線でそれを目の当たりにした専門職は、(通報義務などはもちろんのこと)まずは、解決の糸口を探すための情報収集や要因などの分析、利用者・家族との関係作りなどからはじめると思います。進捗が思うように進まず、どうしても早期解決を求めたくなることは否めず、互いにストレスフルから解放されたいと願うのは自然なことであるかもしれません。しかし、その解決は根本的解決となっているでしょうか。支援者視点からの拘束の解放が、利用者・家族にとっての本当の解決であると言いきれるかどうかは、この「根本的解決」により近づけているかどうかに鍵がある気がします。様々な背景や事情が交錯していますから、とても悩ましい課題であるとは思いますが、何故そうなったのか、どうして、それから、なんで、を相談面接で積み重ねて、身近な解決の糸口を一つづつ紡ぎ出していくように繰り返し積み重ねながら、利用者・家族の力を引き出していくことは、拘束を自らの力で解放する(できる)可能性を持っているように思います。理想論かもしれませんが、これらの課題の多くは、その実践の中に答えがあるのではないでしょうか。多くの人との関わりの中でいろいろな事例と向き合いながら、今一度問題意識を膨らませてみようと思いました。