「上手な援助」ができればいいのだけれど…

新しい援助技法を取り入れる時には不安が伴う、という言葉をしばしば頂きます。確かに「うまくやろう」「上手に質問しよう」と思ってしまうと今までに使ったことのない技法を使ったり、聴いたことのない質問をしたりするには覚悟がいるのかもしれません。

ただ、援助者として一番大事なことは「上手にやること」でも「うまくやること」でもないと思います。また「摩擦を起こさないこと」ですら、無いのかもしれません。

人は困難な状況に置かれると傷つきやすくなります。そこに援助者が関わることによって、必ずと言っていいほど、ささくれ立つことは起こりえます。どんなに熱心な、どんなに気配りが上手な、どんなに思いやりの深い、どんなに多くの方と良好な関係を築いている、そんなスーパー援助のように見える方でさえ、利用者さんの逆鱗に触れた経験はあるでしょう。逆鱗とまではいかない、「もやもや」レベルの話になれば日常的にしょっちゅうあることだと思います。

それでも、人は関わり続けて、傷つけあいながらも、つながり支え合っているのだと思います。援助者が利用者さんに与える「傷」が少なければ少ないほど良いのは確かなのですが、「傷をつけないように関わる」ということでは、時には「援助できることがあるのにしない」というリスクを負うことにもつながりかねません。

大事なことは、利用者さんとの気持ちのズレを早い段階で気づくこと、そしてそれに気づいたら、利用者さんの気持ちをしっかり想像し、確認し、共感的な言葉をかけ、場合によっては謝罪し、次につなげていくことだと思います。以下のような会話例、ご参考になりますでしょうか。

援助者:「もし状況は変わらなくても少しでも楽に過ごせるようになっているとしたら、今と何が違っているでしょうか」

利用者:…(少し眉をひそめてうなだれる)…

援助者:(沈黙でしばし待つ)

利用者:…

援助者:…難しいご質問だったかもしれません…ひっかかること、気になることがおありでしょうか

利用者:…思いつかなくて…。だから私はダメなんでしょうか…

援助者:思いつかなくて、ご自分をせめてしまわれたのですね。申し訳ありません。○○さんがダメだとかそんなことでは全くありません。なかなか、考えないことですしね、ややこしい訊き方をしてしまって申し訳ありませんでした。先ほどのご質問は、これから、少しでも○○さんご家族のお役に立ちたいと思っていまして、で少しでもお役にたてば、どんなふうになっていただけるのかな、例えばどういう夜のお時間を過ごしていただけるのかな、といったようなイメージを、私どももつかみたくてお聴きしたんです…(以下略)

ズレのサインは体に出ます。表情、肩、首、姿勢。

役に立ちそうと思うならぜひ新しい手法もトライなさってください。ただし、利用者さんの反応をよく見て、そしてフォローをきちんと行っていく。それが「うまい援助」かどうかはさておき、「お役にたつ」援助づくりにつながっていくのだと思います。