文献のご紹介

天田城介『老い衰えゆくことの発見』(角川選書)という本、ご存知ですか?

平成23年だからもう5年も前に出た本なのですが、最近になって読み、実践家のみなさまにご紹介したくなりました。

特に、2章「できなくなっていく家族を介護すること」は、高齢者虐待防止法に基づいて私たちが日ごろ「養護者」と呼んでいる家族介護者を理解し、支援していくうえで、参考になると思います。

たとえば、本書92ページに、つぎのようなことが書かれています(簡略化させてもらっています)。


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長男がとか、嫁が、といった、誰が親の介護をすべきか、という社会規範が崩れ、「介護責任の正当性」が揺らいでしまった現代において、介護を引き受けることになった家族介護者は、「なぜ私が看るのか」という不条理を感じるとともに、「認知症の兆候の長期化」のために、いつまで続くのかという「悲痛の嘆き」を表明することになる。

そして、こうした介護が「日常化」してくるにつれ、安らぎがなくなり、自分の時間や場所を「喪失」したように感じる。

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そのようななかで、「虐待」につながるかもしれない行為が生じ、そのことをマズイな、と介護者も感じて援助職に一言言ってみたけれど、「傾聴」も「共感」もしてもらえなかったという事例をあげています。

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「仕事を辞めて介護することになったから息が詰まってもうほとほと疲れてしまいました。うちのばーちゃんは(中略)、娘だから何の遠慮もなく使えると思っているの。それでこっちも『私は女中じゃないんだ!』って怒鳴って時には叩いてしまうのよ。誰も他にはいない。四六時中一緒で無償に腹立たしくなります。こんなこと、誰に言っても分かってくれないし、ヘルパーさんなんかには、『喧嘩するほど仲がいいって言いますから』で片づけられちゃう」

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天田さんは、「介護する側は自分の時間と自由空間を剥奪されることで自らの自尊心やプライドがズタズタに引き裂かれ、それによって愛情のよって立つ根源そのものがむしばまれる事態へと陥っていくのだ。文字通り『孤独な労働』となるのだ。」と書き、ホームヘルパーに「心の叫びを搾り出すように話したのだろう」が、聴き届けられず、「『こんなこと、誰に言っても分かってくれない』という諦念の思いを口にするのである。」と述べています。


こうなると、介護者のイライラは緩和されるどころか、増幅していくおそれがありますね。時間が限られているなかで、プランに基づいて仕事をこなしていかなければならないヘルパーさんに、「傾聴」や「共感」を求めるのはむずかしい面もあるかもしれません。また、こうしたヘルパーさんが一般的というわけではないでしょう。


ですが、家族と接する機会の多い援助職の方にこそ、家族の心情を理解してほしい、話を傾聴してほしい、改めてそう思います。


ご存知のように、今、EPA経済連携協定)によって来日し介護福祉士の資格をとったインドネシア人やフィリピン人、ベトナム人の方々が施設で働いています。今後は、この方々が在宅ケアにも参加してきます。



今後も、この方たちの数は限定的ですが、介護福祉士養成校に留学し介護福祉士を取得する外国人、技能実習制度で来日した外国人の方たちは相当増えてくると予想されます。ただし、技能実習生の方たちが在宅ケアにも進出することになるかどうかはまだわかりません。


いずれにしても、大家族や家父長制が根強い国々からやってきた外国人介護労働者の方たちが、事例の娘さんのような心情を理解できるのかどうか。。。昨今の海外からの介護人材の導入に関する新聞記事等を思い出して、こんな懸念を抱いてしまいました。


しかし、まだ少し先のことです。杞憂に終わるかもしれません。外国人介護労働者の拡大については、日本の文化と社会に適応してもらい、質のよいサービス提供者になってもらうためには何が必要か、といった別のテーマについてもっと議論する必要がありますね。


(副田)