『通報(通告)について思うこと』

こちらもフォローアップMLに投稿された記事を許可を頂いて掲載致します。

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鎌倉市の芦田です。

 私は児童福祉領域(スクールソーシャルワーカー)で,こども達の虐待に頻繁に出会うのですが,実は数日前「通告」(児童福祉では通報ではなく,「通告」になります)を巡り久しぶりにいらだちを感じていました。そのタイミングで色部さんの記事があり,気持ちは全然まとまっていないのですが,実践者としての「揺れ」や思いを知っていただこうと思い,記させていただきました。

 一言で申しあげれば,「通告する側」(人・組織)と「通告を受ける側」(児童の場合は基礎自治体ないしは児童相談所)との,相互の「ずれ」の狭間にいらだったのだろうと思います。

 虐待を「通告する側」から考えた時,通告をすることで「通告を受ける側が何らかのアクションを起こし,支援が始まっていくのではないか」という期待をしているのだろうと思います。実際に,児童福祉領域では「通告は虐待支援の始まり」と,児童相談所職員は研修で話していますし,私も研修等の講師で虐待のお話しをさせていただくときには,同じようにお話しをしています。
 ところが数日前の事例は,学校が通告を自治体にしたところ,当該自治体は
「通告は受けたがウチは動かない」と学校に伝えてきたそうで,「どうしたらよいのか」とスクールソーシャルワーカーである私に相談があったのです。
 私自身,当該生徒さんのことは以前から耳にしていましたので,自治体の「通告は受けたがウチは動かない」という言葉を聴いた時には,正直怒りを感じました。学校としては,虐待通告は「大きな決心」であることを知っているからです。それだけの「決心」「決断」をしたにも関わらず,自治体(児相)が動かない,あるいは学校(を含めた現場)の苦労をわかってくれないのかという思いが,私にはありました。

 「通告を受ける側」は,こうした「通告する側」の迷いやためらい・不安等に思いを寄せ,通告してくれたことへの労いや感謝を,常に表明していくことが,まずは大切なのだろうと思いました。(AAAの基礎ですね)
 そして仮に「動けない」ということを伝えるとしても,「直接的には動けな
い」かもしれませんが,何か(このケースに関しては,市民税の申告の有無等をご確認いただくというところまではこぎ着けました)動いていこうという姿勢を見せていく工夫(表現としては適切ではないですが)は,必要なのだろうと思いました。

 「通告を受ける側」から考えた時,「通告すればすぐに動いてくれる」「通告したら後は任せてよい」といった,「通告する側」の無理解に対する怒りであったり,人員や業務といった諸条件ですぐに動けないといった,「通告する側」にはわからない様々な事情があるだろうと思います。
 もちろん,そうした事情は「通告する側」から見れば言い訳としか聞こえませんし,それを言い訳にして動かない結果,命に関わることがあってはいけません。
 ただ,専門職(や関係機関)である以上,「通告を受ける側」ができること・できないことや,その法的根拠等は理解し把握しておく必要はあるでしょう。また権限があるが故の,しんどさや厳しさに対しての,労いの気持ちは必要なのだろうと思います。

 今回の場合,学校に「通告を受ける側」の事情をきちんと説明できていなかったSSW(私)の落ち度もあるのだろう,と考えるに至ったのです。(そこまで至ったところで,怒りは収まりました)

 虐待に関わるということは,私自身とても怖いです。残念ながら,命に関わった経験もしておりますので,命に関わる判断ミスはしたくないという思いは,非常に強いものがあります。だからこそ,「通告する側」「通告を受ける側」両方の視点を持ちながら,これからも虐待に関わっていかなければならないと,改めて実感しております。